行事

  • 秋

    秋の特別公開・寺宝展

    2024年 11月2日(土)〜4日(月・祝)
    2022年 11月23日(土・祝)・24日(日)
    午前9時〜午後4時
    拝観料
    一般(高校生以上) 800円
    中学生 500円
    小学生 400円
    志納料
    ・(11/23限定)絵師だるま商店による直書き御朱印
     「龍絵図」…2,000円※朱印帳をご持参ください
    ・寺宝特別公開期間限定直書き御朱印
     「龍呼雲 黒メタリック」・「獄卒鬼 赤メタリック」
     …各1,500円※朱印帳をご持参ください
    ・寺宝特別公開限定オリジナル金紙見開き墨書き朱印
     「閻魔大王」、「地獄太夫」
     …[二体一組]2,000円
    ポスター画像
    ◆ 特別拝観内容

    寺宝展では、130年振りの保存修理事業が今年4月17日に落慶いたしました、重要文化財であります「薬師如来像」のほか、桃山時代に描かれました「参詣曼荼羅図」(京都府指定文化財)、「熊野観心十界図」(江戸時代前期)のほか、本年も岩手県の常安寺(曹洞宗の寺院)さま所蔵の寺宝、佐々木藍田(ささきらんでん)筆の大地獄絵図(江戸時代後期)の複製公開もいたします。冥界を閻魔大王の招きで、高僧の満慶上人を案内する小野篁公のお姿が描かれているなど大変興味深い地獄絵であります。さらに本年は昨年秋頃よりこれまた大修理をいたしておりました清朝時代の十王図二幅が、この6月末に無事に修理を終えましたことより、この秋の特別公開・寺宝展において公開をさせていただきます。また、小野篁公の「冥途通いの井戸」等も特別公開となります。

    • 重文本尊薬師如来坐像
      重文 本尊薬師如来坐像
    • 参詣曼荼羅図(複製)
      参詣曼荼羅図(複製)
    • 熊野観心十界図
      熊野観心十界図
    • 佐々木藍田「大地獄絵図」(複製)
      佐々木藍田「大地獄絵図」(複製)
    • 赤松家ゆかりの銘刀ほか刀剣
      赤松家ゆかりの銘刀ほか刀剣
    • 冥途通いの井戸
      冥途通いの井戸
    • 黄泉がえりの井戸
      黄泉がえりの井戸
    ◆ 記念朱印の授与

    「朱印絵」…『龍絵図』・「書・語句」…『龍呼雲』
    今年は、悲しい出来事よりのスタートとなりましたが、早や余すところ約二ヶ月となりました。
    申すまでもなく、本年は辰(龍)年でありますが、明年にむけ干支にあやかり何んとか瑞祥無上の年としての兆しを感じる年で終わりたいものです。
    そこで、このたびの特別朱印といたしまして、当寺に長年ご奉仕いただいている「だるま商店」絵師の直書きをもって古来より瑞兆をもたらす吉祥画とされる『龍絵図』をお描き願うとともに、墨書メタリック直書きにて『龍呼雲』(龍は雲を呼ぶ)と直書きさせていただきます。
    [龍は、雲を呼び雨を降らす力を持ちますが、自(みずか)らが起こした雲に乗って天に飛翔し、世の中の平安と人々の長寿をもたらすともいわれています。]
    『龍』は、鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、亀とともに中国では四瑞(しずい)の一つとして尊ばれており、幸多き年として今年を締(し)め括(くく)ってほしいものであります。
    住職 敬白

    絵師だるま商店による直書き御朱印「龍絵図」
    (志納:2,000円)
    ※期間中23日限定
    絵師だるま商店による直書き御朱印「龍絵図」

    ※朱印帳をご持参ください

    寺宝特別公開期間限定直書き御朱印
    「龍呼雲 黒メタリック」「獄卒鬼 赤メタリック」
    (志納:[各]1,500円)
    「龍呼雲 黒メタリック」

    龍呼雲 黒メタリック ※朱印帳をご持参ください

    「獄卒鬼 赤メタリック」

    獄卒鬼 赤メタリック ※朱印帳をご持参ください

    『獄卒鬼』
    獄卒鬼とは、十王の眷属(けんぞく)で亡者を呵責(かしゃく)(叱り責めること)し、罪人に犯した罪を白状させその罪の重さを手荒く仕打ちをする役目を負った鬼たちのことで、普通は単に「地獄の鬼」と呼ばれています。
    この当寺の獄卒鬼は右手で何かを指さし、左手には棒を持ち、腰には裳(も)をまとっています。髪は逆立ち、目は大きくみひらき、口は開け吼(ほ)えんばかりの形相を呈しています。手の指は4本、足の指は二本であります。
    また、『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』では、十王の内の第3番目の裁きを受けもつ宗帝王宮の頂に「閻魔の卒、亡者を呵して言(いわ)く、我等、慈無くして逼(せま)るに非(あら)ず、汝が邪婬(じゃいん)の業(ごう)(肉欲によるよこしまな行為)、此の苦すら猶軽。後王も逼る(他の十王の罪を白状させるための拷問)こといくばくならん(どれほど多くあろうか)」と、その獄卒の役割の一相を記しています。
    また、日本の地獄像・地獄思想に大きな影響を与えた天台浄土教の僧侶・源信(げんしん)が著した『住生要集』(985年成立)の中では、獄卒の鬼が閻魔王同様、罪人に向かって説法しており、たとえば「大焦熱地獄」では、「いいか、地獄の火がお前を焼くのではない。お前の犯した悪い行いがお前を焼くのだ。火が焼くのなら、やがて消えることもあろうが、悪い行為が焼く場合は消えることはないのだ」と諭しているそうです。地獄の獄卒は、私たちの欲や怒りや愚痴などの煩悩(ぼんのう)によって作って苦しみを責せ立てるたとえであり、鬼は、実は私たちの心に住んでいるのではないでしょうか。
    その獄卒鬼の文字を赤メタリック直書きにて授与させていただきます。

    寺宝特別公開限定オリジナル金紙見開き墨書き朱印
    『閻魔大王』、『地獄太夫』
    (志納:[二体一組]2,000円)
    『五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)』[解説]
    東北四大夏祭りに数えられており、毎年、青森県五所川原(ごしょがわら)市で8月4日〜8日までの5日間に亘り開催される行事であります。この祭りは、民族行事の「眠り流し」(夏の農作業の妨げとなる眠気や目に見えない魔物を追い払う行事)を起源とする「ねぶた」の一種ともいわれています。
    明治時代から大正時代の初期にかけて、巨大ねぷたで知られましたが、電線の架設や二度の大火を経て小型化もされました。
    しかし、平成8年には、20メートルを超える巨大ねぷたも復活して「立佞武多」と命名され、平成11年からは祭りの名称も「五所川原立佞武多」とされました。
    また、祭り本番では、忠孝太鼓を先頭に、中型や小型ねぷた10数台とともに3台の大型立佞武多が運行され、お囃子や踊り手が華を添えるなど、現在では大勢の観客で賑う観光イベントへと発展を遂げられています。

    大型立佞武多の大きさについては、高さ23m、重さ19tで約70人もの曳き手によって市内を運行されるようです。
    一方、その題材としては歴史上・物語上の人物などにこだわることなく、その時勢を反映したものも製作されているとのことです。
    だるま商店直書「お盆 閻魔姿絵」朱印

    「ねぷた表現師」"忠汰(ちゅうた)"絵師
    大型立佞武多(たちねぷた)『閻魔絵朱印』

    このたび、青森県五所川原市の立佞武多の「ねぷた表現師・忠汰(ちゅうた)(齊藤忠大[さいとうただひろ]」絵師の令和六年の新作『閻魔』を当寺の御朱印絵として使用させていただくこととなったのは、立佞武多の後ろの主役ともいえる見送り絵(ねぷたの後ろ姿・裏側の絵を指し、送りねぷたとも呼ばれる)を当寺と親交の深い「だるま商店」絵師が担当されたことにはじまります。 「ねぷた表現師・忠汰」絵師と「だるま商店」絵師らとは、五年前にも忠汰絵師のねぷた絵の題材「かぐや」でタッグを組まれていた友人ということであり、今回も忠汰絵師の要請を受けてのことであったとうかがいます。
    忠汰絵師は、本年の大型佞武多『閻魔』の制作にあたり、だるま商店さんを通じて、当寺の寺宝の閻魔像も見学に来られました。
    その折、本年の題材決定をなされた胸奥もおうかがいでき、私自身大いに共感し、「今のこうした時代だからこそ地獄の厳しい光景の中にある仏教の説く戒め、諭しを世間に伝える時」との思いを強くもちました。

    『ねぷた表現師 忠汰(齊藤忠大)』絵師の横顔ご紹介

    「五所川原立佞武多」の制作者である忠汰さんは、元市職員として在職中には大型ねぷたを6台も制作されておられます。そして2021年の退職後には、『ねぷた表現師 忠汰』として独立され、以降は忠のねぷた工房も開設され、ねぷたのアート作品制作などを手掛けておられます。
    そして、今年(2024年)のねぶた祭りでは、新作大型ねぷた制作者として5年振りに登板され、新作『閻魔』(三つ目で亡者をにらみつける冥府の王)の圧倒的な存在感でもって奥津軽の夏の夜を盛り上げられました。
    だるま商店直書「お盆 閻魔姿絵」朱印

    絵画ユニット"だるま商店"
    大型立佞武多『見送り絵・地獄太夫(みおくりえ・じごくたゆう)朱印』

    だるま商店絵師らは、この八月に青森県の五所川原市の立佞武多の祭りで、ねぷた表現師の忠汰絵師と五年振りにタッグを組み、題材『閻魔』の見送り絵と袖絵を手掛けられました。
    だるま商店絵師がその折取り組んだ題材が、室町時代に実在した、遊女『地獄太夫』をモチーフにした地獄絵でした。
    その大きさは、高さは最大で四メートル、横も四メートルと相当な大きさで、地獄太夫のほか三途の川を渡った亡者から衣服をはぎ取る奪衣婆(だつえば)、そして閻魔王と関わりがあるとされる小野篁(おののたかむら)らの様子を恐ろしく昔のねぷた風に描きつつも、一面親しみのあるタッチに仕上げられ、忠汰絵師制作の鏡絵、『閻魔』と一体感のある実に見事な作品として、大きな評価を受けられたそうです。
    そこで、このたびの当寺の秋季の寺宝展の特別朱印として、忠汰絵師の鏡絵『閻魔』とともに、このだるま商店絵師の見送り絵『地獄太夫』も特別朱印絵としてさせていただくこととなりました。
    次に「地獄太夫」につき少し触れてみたいと思います。
    「地獄太夫」は前述の通り、実在の人物で「現世の不幸は前世の戒行が拙(つたな)いゆえ」であるとして、自らを地獄と名乗り、衣服には地獄変相の図を縫(ぬいと)り、心には仏名を唱えつつ、口には風流の唄を歌ったといわれています。
    また、禅僧の一休宗純師が堺に赴いた折、美貌のうわさのある地獄太夫を訪ね禅問答のような歌のやりとりをした話は有名です。
    その歌とは、
    【地獄太夫が詠んだ歌】
    「山居せば深山の奥に住めよかし ここは浮世のさかい近きに」
    (訳)出家したら山の奥に篭(こも)っているべきでしょう。ここは浮世の境(堺と地獄の周辺をかけている。)に近いところですよ
    【一休禅師の返歌】
    「一休が身をば身ほどに思わねば、市も山家も同じ住処よ」
    (訳)「市」は堺のこと。自分はこの身を何とも思わないので(禅宗で言う「空」の悟りを意味する)どこにいても同じことだ。
    あるいは、場所柄、遊郭で女遊びしようと俺の勝手との意味にもとれる。
    ※その上で、この遊女こそが名高き地獄太夫であると知って、禅師は次のような歌を詠んだとされる。
    「聞きしより、見て恐ろしき地獄かな」
    (訳)「恐ろしき」は自分を目に止めていきなり暴言を歌に詠む転機や胆力に対する誉め言葉といえる「地獄かな」は、地獄と地獄太夫をかけた言葉であろう。

    ◆ 御朱印帳の授与

    「だるま商店」絵師による「閻魔大王」と「小野 篁卿」各姿絵等を最初のページに特別に描いた2種の『六道珍皇寺 改訂版 オリジナル朱印帳』も限定数にてご授与させていただいております。

  • 拝観案内 京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595 TEL・FAX 075-561-4129
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